ピノキオP「アッカンベーダ」考

【MAYU】アッカンベーダ【オリジナルPV】
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 「アッカンベー」というのはご存知の通り、下のまぶたを指で下げて、舌をべーっと出すやつですね。僕はやったことないですけど、漫画やアニメなんかではものすごい当たり前のようにこの表現が出てくるので、ボディランゲージとして知らない人はいないと思います。僕は人にやられたこともないですけど。
 ちなみにビッグコミックオリジナルの巻末には「赤兵衛」という漫画が載っています。

 語源の由来としては「赤い目」が転訛したもので、あれ?「べー」のところは舌を出す動作のことなんじゃないの?と思うかもしれませんが、本来は別に舌を出すものではなかったみたいですね。「べー」と舌を出すだけでも同じ意味にはなりますが、こちらは「からかい」よりも「おどける」要素の方が強いような気もします。もちろん言葉のニュアンスというのは使われる場面や状況によって変わるものです。
 これのもっと腹立つバージョンが「べろべろばー」なのかなと思ったりもしたんですが、「べろべろばー」なんて赤ん坊をあやす時くらいにしか使わないし、それ以外の時にやったら単に頭のおかしい奴だと思われるだけですね。世知辛い世の中だ。
 ちなみに今年の大河ドラマは「黒田官兵衛」です。

 前口上はこのくらいにして、「アッカンベーダ」という曲は一聴するとただの恋愛ソングのように聞こえますが、「ラブソングを殺さないで」という世の中のラブソングを全部ひっくるめたような曲を書いた人が、今さらただのラブソングを書くでしょうか。この曲に共感するという人がいたとして、「初恋を思い出した」とか「女心がわかっている」とか、そういう感じ方も純粋だし、最終的には僕もそこへ帰り着くべきだと思うんですが、この曲は恋心にフォーカスを当てながら、カメラを引くとものすごい深淵が広がっている。そういう感じ方ができる曲だと思うのです。最近のピノキオPの曲には総じて言えることかもしれませんが。

「何て言えば正解だっけ」

 人は状況に合わせた台詞を無意識のうちに選び取っているもので(無意識に話しているというわけではなく、浮かんでくる言葉自体が無意識的ということ)、怪我人を心配してデーゲームの結果を尋ねたり、物を拾ってくれた人に井戸の話をし始めたりはしません。心配したら「大丈夫?」、親切には「ありがとう」。「売り言葉に買い言葉」ということわざがありますが、これは喧嘩だけでなく、あらゆる会話に対して言えることです。
 巷にはそれまでの脈絡を全部無視していきなり突飛なことを言い出すような人もいますが、そういう人は普段から周りにいてくれる人たちに感謝する必要があるでしょう。

「急に刺したり 首を絞めたら大事件だね」

 好きな人と二人っきりで頭がごちゃごちゃになっちゃってる女の子だからこそ、この歌詞はすんなりと入ってくるわけですが、小汚いおっさんが街をぶらついている時にこう考えてもおかしくないんですよ。ただそれだとあまりにも不穏なので、恋愛にフォーカスを当てることでカモフラージュしている。でもね、小汚いおっさんだって「素直にしゃべりたい」とは思っているはずなんですよ。

「台本にないセリフは言えない」

 しかし、すべての言葉が状況や場面に応じて出てくるのならば、それは状況や場面が作り出した台詞に過ぎないのではないか。それどころか、自分はどこかで聞いたセリフをなぞったり、受け売りを話し­ているだけで、本当に自分の中から出てきた言葉など無いのではないか。疑いだすとキリが無くなってきます。『Aの時にはBと言う』の台本(テンプレート)ばかり作って、その通りに話しているだけ。
 まず状況があって、その後に言葉がある。では、まず言葉があって、そこから状況が生まれることは? その答えが「台本にないセリフは言えない」。行き詰まりです。

「わかりやすいあやつり糸で あなたの望むままに」

 曲の後半になって出てくるこの歌詞が出口の無い懐疑論のえげつなさをさらに加速させます。自分だけではなく、相手も同じように台本通りのことしか言えないので、「わかりやすいあやつり糸」が見えてしまうのです。そして、その通りに踊らされる。いや、自分から踊るんですね。
 「何でもない、また明日。」っていう台詞の既視感すごくないですか?
 「どうしたの?」「ううん、何でもない」こんなやり取り僕らフィクションの中で何回見せられてきたんでしょうね。この曲はそれをあえてやっているんです。日常の会話は記号と化して、それぞれに対応した記号のやり取りになっていく。冒頭の話に戻りますが、「アッカンベー」なんていまどき子供だってしません。

 フィクションの中の型にはめ込まれていくというテーマでは別に「週刊少年バイバイ」という曲があります。こちらも単純に漫画にフォーカスを当てて皮肉っているだけではなく、カメラを引いてみると現実世界の読者がいるわけですね。漫画というのは現実から描き起こされたものであるはずなのに、漫画から描き起こされたような人物がいて、どうにかして物語を面白くしようとしている姿が「打ち切り漫画のキャラクター」によく似ている、という歌詞の鋭利さは特筆ものです。

 「週刊少年バイバイ」における「素直な気持ちを叫んだってよくある記号の羅列だって」という歌詞は、「アッカンベーダ」に先んじてその本質を集約しています。漫画の中だけの話ではないんです。現実世界のコミュニケーションですら漫画化している。
 もちろん考えすぎです。疑いだしたらキリがないんです。だから「違う違う違う」と首を振らなければならない。ちゃんと自分の言葉で、たとえどこかで聞いたことのあるようなフレーズでも、吟味して、咀嚼して、反芻して、ようやく吐き出してこそ、想いは伝えられるものではないでしょうか。少なくとも「想いを伝えたい」という想いは伝わるはずです。

 そして、僕たちは「アッカンベー」がこちらに向けられている意味を今一度考えてみるべきではないかと思います。「かわいい」とか呑気に言ってる場合じゃないですよ。