ヒトデ、爆散

 救われると思って手を伸ばしたら引っ掴まれて離してくれなくなっただけのことを運命とか言って軟禁状態を続けているところにまっとうな生活が付き従ってきたらそれはもう人生だろうななんてことを考えながら何物にも手を伸ばせずに引っ掴まれることもなく毎日を無為に過ごしていたヒトデが昨晩自殺した。目が覚めてから今日が土曜日だということに気が付いてホッとするいつもの朝にホットコーヒーを淹れてから無作為にかけようとした電話の隣の水槽の中で無残な姿に変わり果てたそいつを俺は二度見した。そして一先ず今まで一度も考えたことのなかったヒトデの死に方について常識の範囲で想像しうるかぎりのパターンを十個くらい思い浮かべてからそれらが今目の前で死んでいるヒトデに一つもかすりすらしないことに改めて生命の神秘を感じたりした。ヒトデは爆散していた。
 千切れてバラバラになっているだけなら「爆散」の「爆」の部分は確かではないはずだが不思議と爆散という響きに確証があったのは昨日五十個の星の散りばめられた国で大規模な爆破テロがあったためだろう。テレビをつけると今日もニュースではホットトピックスとしてその事件が扱われて凄惨な現場から爪痕とか警戒とかいう言葉を駆使して臨場感のあるリポートが成されている。俺はホットコーヒーを飲みながら最近ではネットの普及によって絶滅にひんしているタウンページを繰ってペットショップだとかペット霊園だとかの電話番号を調べて本当なら休日を有意義に過ごすために恋人だか友人だかにかけるはずだった受話器を手に取った。端的に言えばペットショップやペット霊園ではまともに取り合ってはくれなかったもののそのあとに思い付きでかけた熱帯魚などを扱っているアクアショップではやや食い気味なほどに状況を説明させられて午後にヒトデを持っていくことになった。これに関しては自分でも願ったり叶ったりというか水槽の中で爆散したヒトデを前にして先行きの見えない朝もやの中で一束のわらをつかんだような気持ちだった。ただ先方の午後とは言わずに今すぐにでも来てくれと言わんばかりの対応に少しだけ引いたのと今日はやっぱり恋人だか友人だかと出かけて気分を晴らしたいという気持ちが次第に強くなってきたのでアクアショップには何の断りもなく行かないことにした。
 翌日になって昨日と変わりなく水槽の中で爆散しているヒトデを見ると情感など何一つ湧いてこないでこれはもうただの死肉でしかないと思い始めたので手っ取り早く処理するためにも昨日電話したアクアショップになかば押し付けるつもりで持って行くことにした。水槽にはヒトデしか入っていなかったのでそのまま車に担ぎ込むとふだんの要領でアクセルを踏み込んだが水槽の中でちゃぷちゃぷと波打つ音が聞こえたのでおのずと制限速度を守ることになり目的地までには当初の予定よりも十五分くらい遅く到着した。アクアショップはすでに営業しており俺は店内に入って店長らしき人物を見つけると「遅くなりました」と告げた。頭の禿げかかった中年男性は「はあ」と言って何の事だかわかっていなかったようなので「ヒトデの件でお電話差し上げたものです」と伝えると目つきを変えて「なんで昨日来なかったんですか」と少し怒気の混じった声を上げた。俺は一瞬このおっさんは客に対してとるべき態度を見誤っているのではないかと感じたものの個人経営の店なんてものは大概こんなものなのかもしれないし何よりそれだけ生き物たちにかける情熱があるということだからここにヒトデの死肉を持ってきたのは間違いではなかったと思った。俺は車から店内に水槽を運び込むともう自分のやるべき仕事は終わったという風に帰ろうとしたが店主に呼び止められてなぜだか地下室に同伴することとなった。一見どこにでもある大きさの自宅店舗に地下があるというのは驚きだったが深海魚だとかそういう環境でしか飼育ができない生き物も取り扱っているのだろう。店主の背中からにじみ出る汗がポロシャツにハート形の沁みを広げていくのを眺めながらひとしきり階段で降りてドアを開いたら到着かと思いきやそこにあったのはエレベーターだった。店主が手早くナインキーを打ち込むと扉が開いて俺たちはさらに地下深くまで降りていった。「地下で核実験でもしてるんですか」と冗談交じりで聞くと店主は振り返らずに「それに近いことはしている」と答えた。俺は店主の背中から彼の後頭部もハート形に禿げかかっていくだろう気配を読み取った。
 エレベーターを降りてからさらに通路を進んで最後の堅牢な扉が開かれた先には地上には無かった大型の水槽がいくつも立ち並んでいた。中にはクジラでも入りそうなプールと呼んでもいいくらいの大きさのものもあってそのいずれにも謎の溶液が満たされているばかりで中には何も入っていなかった。俺が爆散したヒトデの入った水槽を抱えながら呆気にとられていると店主はおもむろに「工場長!」と叫んだ。その呼び声を聞きつけたのか工場と呼ばれた広大なスペースの奥の方から人影がにょっきと現れてこちらに歩いてきた。そいつは最初遠近法が狂っているのかと思ったが近づくにつれて身長が三メートルもある巨大な赤ん坊であることがわかった。つなぎを着ている姿は確かに工場長と呼ばれるにふさわしいのだがなぜ赤ん坊であると思ったのかというと頭が異常にでかい上に顔面が生まれたての赤ん坊の泣き顔そのままだったからだ。工場長は「こちらへどうぞ」と言ってつなぎのファスナーを下したのでいったい何を見せつけられるのかと思ったがそこにあったのはただただ何もない空間だった。店主は工場長の体を真っ二つに裂くように押し広げなから中に入っていったので俺もその体が弾性で縮まらないうちに急いで潜り抜けた。外目からは何もないように思われた空間に入ってみるとそこにはまた水槽が立ち並んでいて今度はちゃんと中に生き物も入っていた。ただどのような角度から何度目をこすって見ても水槽の中に入っているのは紛れもなく人間だった。「あの、この人たちは」と先行く店主に話しかけると「昨日爆破テロがあっただろう」とやはり振り返ることなく答えた。「こいつらはその実行者たちだ」
 店主はある人間の入った水槽の前で立ち止まると俺にヒトデの入った水槽を降ろすように指示した。そしておもむろに手を突っ込んでヒトデの死肉の一つを水の中から取り出すと目の前の水槽の中に放り込んだ。水槽の中の人間は気配を感じ取ったのか目を閉じたまま片腕だけをすばやく動かして死肉をつかみ取りむさぼり食べた。「どういうことなんですか」「ヒトデは念を持った生き物であり種族間で共感覚を持っている。遠き星条旗の翻る土地で命を落とした同胞のことを思って自らの変わることのできない焦りや苛立ちややるせなさから自死を選んだのだろう。その血肉は新たなる革命を生み出すための養分として今再び吸収された。君には感謝している。人海に離れすんだ彼らがこうして戻ってくることはまれにみることであり貴重な資源の再利用は我々にとっても有益なことだ」「そんなことを聞いているんじゃない。俺は大切な友人を食べさせるために持ってきたんじゃない。人に食われるくらいなら俺が食べてやる」そう言って俺は水槽の中に残っていたヒトデの死肉を洗いざらいつかみ取ってはむさぼり食べた。途端に眩暈がして視界が歪み目の前にいたはずの店主がヒトデの形に姿を変えたかと思いきやとうとう気を失ってしまった。救われたと思っているやつは馬鹿なんだという声が頭の中で何重にもなって鳴り響いていた。