病気と夢

 喉がいがらっぽくてのど飴を舐めていたが無駄だった。扁桃よりも奥、食道に近い部分で炎症が起こっているようだった。咳は喉からというより胸から出る感覚で、そのうち痰も絡むようになった。熱は無かったので、風邪とは言い難かったが、「風邪」というのも近頃はバリエーションに富む。正式な病名はわからないが、偏頭痛が起こり始めると、これはもはや休養するほかにあるまいと悟り、ベッドで横になった。
 病は気からというのを僕は信じている方で、厭世的な考えを抱くことはあっても、心の奥の方ではわりと健康的な思考を心掛けている。病人のように生きると、自分が本当の病人のように思えてくるものだ。一週間引きこもっている時もいつだって部屋を飛び出して朝もやの中をランニングする覚悟は出来ていた。そういう覚悟でいたからこそ一人暮らしの時もあまり体調を壊さなかったのだと思う。
 今は実家に戻って、下宿時代と比べると精神が怠慢な状態にあった。寝るわけでもないのに布団をかぶった時、僕は負けたのだと思った。どこかに付け入る隙があったのだ。部屋を見渡すと、それはまさしく病人の部屋に見えた。
 夢の中で元日本ハムミラバル投手が炎上していた。隠れキリシタンミラバル投手はキリストの描かれたマウンドをどうしても踏めないためフォームを乱しているのだ。ランナーが出る度にボークを取られてテイクワンベース。投球の操作が難しすぎてボークばかり取られる野球ゲームでもここまでは酷くないぞ、と友達が実例を挙げて言った。僕も確かにそのゲームをやったことがあって(夢の中での話で実際には全く心当たりが無い)、友人のもっともらしい意見に賛同する振りを見せた。その友人とは中学以来8年近く会っていないのだが、どうして一緒に野球観戦していたのかはわからない。売り子のお姉さんにビールを頼む姿も中学生の時のままだったが夢の中では違和感が無かった。売り子のお姉さんがビールを渡そうとした時に屈んで胸の谷間が見えた。僕が直視するべきか悩んでいる間にミラバルがまた打たれた。
 目を覚ますと部屋は暗闇だった。呼吸がしづらいので咳をすると黄色くてぶよぶよした痰のかたまりが出た。鼻を詰まらせていた鼻水にも粘り気があった。トイレで小便をしながらさらに咳き込んで痰を吐いた。台所に降りると母が夕食の支度をしていた。時計を見ると、八時過ぎだった。リビングには何故か単身赴任中の父もいた。僕はその時何かしらの刺激を受けた。今となってはそれが何なのかもわからない。しかし、その刺激は僕を激怒させた。家族の前に限らず、ふだんから感情を表に出すことは少なく、ましてや怒りをぶつけることなど滅多にないのに、何かが逆鱗に触れた。顔が真っ赤になるのを感じた。酔っているのかも知れなかった。まくしたてるように僕は家族を罵り上げ、それでいながら心の奥では(これで何もかもおしまいだ)などと落ち込んでいた。それもまた夢だった。
 病で床に臥している時に見る夢は痰や鼻水と同じようにどこか粘りっこい。起きた時に自分が病人であることを思い出させる病的さがある。病は気から。夢もそれに従っているのだろう。