ケールニッヒの白昼夢

 遠き日の近代、硬式飛行船と蒸気機関車が空と大地を蹂躙していた頃、研究の行き詰まりから不眠症に悩まされていたドイツのとある植物学者が奇妙な白昼夢からインスピレーションを得て、宇宙の構造に関する現代でも未だ否定も証明もされていない画期的な予想を立てた。
 その予想は白昼夢を見た日付から始まって彼の日記帳に少しずつ書き加えられ修正を繰り返しながらも着実に一つの形を成していった。それらはすべて手書きで難解な学術用語も数式もほとんど交えずに綴られたが、全体を通せば象徴としての文字が元来含有している以上の意味内容を構成していた。植物学者である彼に物理学は専門外であったため、そういった単純な言葉選びになったのだろう。しかし、それは単純であるがゆえに文字自体が解釈の幅を持たず、理路整然と説明に終始する役目を持つことが出来たとも言える。
 植物学者はこの世を立つまでに彼だけが開けられる書庫の棚に数十冊にも及ぶ日記帳を並び終えた。残された彼の遺族が書庫をそのまま放置していたら、これらの日記帳を含む貴重な資料は戦火に焼かれ、二度と日の目を見なかったことであろう。
 植物学者が天に召されてから一年経って遺族が書庫の封印を解き、彼の学者仲間や友人たちに蔵書のセレクトセールを開いた時、個人のプライバシーに干渉することは憚られるとして誰一人日記帳には手をつけようとしなかったが、そこへ一人遅れてやってきた人間――この人物は心理学者なのであるが――は日記帳が残されていることにただ一人安堵した。彼は植物学者を友人として、また不眠症に悩まされる彼を研究の対象として、少なからず特別な興味を抱いて観察していた。
 心理学者は生前彼から白昼夢の話を聞いていたが、セールの時にはそんなことは頭になく、単純な興味から――心理分析のサンプル、人の心を覗き込むスペクタクルとして日記帳を譲り受けようと考えていたのである。しかし、日記を紐解き始めて三週間が経った頃、世間で大きな事件があった日から重点的にチェックしていた彼は、植物学者の生まれ故郷が隣国に制圧された時期の日記からついに白昼夢の記述を見つける。そして、その後の日記において断続的に組み上げられていく予想の記述に付箋をつけて、彼の発想に影響を及ぼしていると思われる箇所をどのような些細なものでも書き起こし、一つの完成系としてまとめるという途方もない作業を開始した。
 心理学者はそれまで立てた或いはこれから自分の立てるであろう功績よりも、植物学者の予想を世間に公表することの方がより未来に及ぼす影響が大きく、人類にとって有益だと判断したのである。
 この英断により、かくして日記帳の紙片の寄せ集めは「ケールニッヒ予想(もしくはケールニッヒの白昼夢)」として学会に提出される運びとなるのだが、当時の学界がこの予想をまともに受け取らなかったのは周知の事実であろう。一人の植物学者の白昼夢から宇宙の終わりすらも内包するスケールの仮説がどのように飛び出し得るのか。世迷言にしては筋が通っているように見える論理展開はもはや詐欺師の手口であると方々から非難された。
 それから100年の歳月が経った今、彼の予想を裏付ける発見が相次いでいる一方、未だに近づきある真実から目を逸らそうとしている人間も少なくない。ケールニッヒの予想を否定する立場にいる現代の学者の一人などは、彼の白昼夢を「悪い夢」だとして、ある種畏怖の念を持ってすら遠ざけようとしている。硬式飛行船がヒンデンブルクの悪夢から目覚め、蒸気機関車のタービンが錆に覆われ朽ち果てようとしている今、時間の収束、世界の終局を予想したケールニッヒの白昼夢は100年の時を貫いて正夢になろうとしている。

生を

 何にでもなれるなら、自分は何者なのか。
 何者にでもなれる可能性はあったし、これからも何者にでもなれる。
 しかし、初期の設定からして不可能なこともあるだろうし、環境によって難易度は変わるものだ。乱数や偶発性に賭けなければならないこともあるだろう。それでも長期の積み重ねに基づかない、瞬間的な個性に限れば、その場その場で何にでもなれる可能性はある。色んな人間の前で色んな自分を演じることによって、各々に全く違う印象を抱かせることだってできるはずだ。
 そう、演技だ。

 自分を捨てて他の何者かになりきることによって、自分がどうするのか、どうしたいのかではなく、その何者かならどうするかで行動できるようになる。もちろん、その何者かは数秒ごとに切り替え可能で、切り替え方を間違えると手のひらを返すように全く違うことを言い出したりもする。
 そうやって自分の中で何者かを複数抱え込むことによって、本当の自分をひた隠しにし、一人の時でも何者かの仮面をかぶり続け、そのうち自分というものが何だかわからなくなる。

 舞台から役者が観客に声をかける要領で神に祈る。
 独白。
 自分とはいったい何なのだ。私の本当の姿を知っている人間はいないのか。人生という舞台を降りるまでわからないのだろうか。終劇の際には全てが明らかになるのだろうか。
 役者は舞台を演じ続ける。
 閑古鳥が鳴いている観客席にはただ一人、足の不自由なご婦人が後列の席から観覧している。彼女は日がな一日劇場にいて、ちゃんと劇を見ているのやら、頭の中では別のことを考えているのやら、その眼からははっきりとした意志が読みとれない。
 役者は彼女の眼の色が変わるような演技をしなければと意気込む。
 それはいつ終わるともしれない。喜劇か悲劇かの区分もつかない。しかし、演じ続けるうちに自分が何者なのか、そんなことはどうでもよくなる。ただ、婦人のために演じている自分がいることは実感できる。
 それが生の実感。
 人間とは生粋の役者であり、自らを疑うことすらも、役者としての独白の範疇に過ぎない。
 ただ、演じ続けるしかないのだ。生を。

 Say Woh〜! (Say Woh〜!!)

 Say Woh! Woh! Woh! (Say Woh! Woh! Woh!)

 じっちゃん……あたい、ビッグになる。

病気と夢

 喉がいがらっぽくてのど飴を舐めていたが無駄だった。扁桃よりも奥、食道に近い部分で炎症が起こっているようだった。咳は喉からというより胸から出る感覚で、そのうち痰も絡むようになった。熱は無かったので、風邪とは言い難かったが、「風邪」というのも近頃はバリエーションに富む。正式な病名はわからないが、偏頭痛が起こり始めると、これはもはや休養するほかにあるまいと悟り、ベッドで横になった。
 病は気からというのを僕は信じている方で、厭世的な考えを抱くことはあっても、心の奥の方ではわりと健康的な思考を心掛けている。病人のように生きると、自分が本当の病人のように思えてくるものだ。一週間引きこもっている時もいつだって部屋を飛び出して朝もやの中をランニングする覚悟は出来ていた。そういう覚悟でいたからこそ一人暮らしの時もあまり体調を壊さなかったのだと思う。
 今は実家に戻って、下宿時代と比べると精神が怠慢な状態にあった。寝るわけでもないのに布団をかぶった時、僕は負けたのだと思った。どこかに付け入る隙があったのだ。部屋を見渡すと、それはまさしく病人の部屋に見えた。
 夢の中で元日本ハムミラバル投手が炎上していた。隠れキリシタンミラバル投手はキリストの描かれたマウンドをどうしても踏めないためフォームを乱しているのだ。ランナーが出る度にボークを取られてテイクワンベース。投球の操作が難しすぎてボークばかり取られる野球ゲームでもここまでは酷くないぞ、と友達が実例を挙げて言った。僕も確かにそのゲームをやったことがあって(夢の中での話で実際には全く心当たりが無い)、友人のもっともらしい意見に賛同する振りを見せた。その友人とは中学以来8年近く会っていないのだが、どうして一緒に野球観戦していたのかはわからない。売り子のお姉さんにビールを頼む姿も中学生の時のままだったが夢の中では違和感が無かった。売り子のお姉さんがビールを渡そうとした時に屈んで胸の谷間が見えた。僕が直視するべきか悩んでいる間にミラバルがまた打たれた。
 目を覚ますと部屋は暗闇だった。呼吸がしづらいので咳をすると黄色くてぶよぶよした痰のかたまりが出た。鼻を詰まらせていた鼻水にも粘り気があった。トイレで小便をしながらさらに咳き込んで痰を吐いた。台所に降りると母が夕食の支度をしていた。時計を見ると、八時過ぎだった。リビングには何故か単身赴任中の父もいた。僕はその時何かしらの刺激を受けた。今となってはそれが何なのかもわからない。しかし、その刺激は僕を激怒させた。家族の前に限らず、ふだんから感情を表に出すことは少なく、ましてや怒りをぶつけることなど滅多にないのに、何かが逆鱗に触れた。顔が真っ赤になるのを感じた。酔っているのかも知れなかった。まくしたてるように僕は家族を罵り上げ、それでいながら心の奥では(これで何もかもおしまいだ)などと落ち込んでいた。それもまた夢だった。
 病で床に臥している時に見る夢は痰や鼻水と同じようにどこか粘りっこい。起きた時に自分が病人であることを思い出させる病的さがある。病は気から。夢もそれに従っているのだろう。

ビタミンドリンク

 少女は波打ち際に転がる微炭酸のビタミンドリンクの瓶を拾い上げると、海水を汲み入れてから僕に差し出した。飲めということだろうか。受け取って何気なく中身を透かしてみたが、瓶が茶色いため海水の透明度はよくわからない。
 水平線に沈みゆく太陽が僕に何かを期待する少女の表情を赤く染め上げている。いや、もしかしたらそこには表情なんてものは無いのかもしれない。目と鼻と口との均衡。いびつな物など何一つなく。黄金比の配置。すべてが美しく整っている。
 僕は海水を一気に飲み干した。喉が焼けつくように痛み、突然の刺激に驚いた胃がぎゅるぎゅると音を鳴らした。小さなげっぷが出た。彼女に聞こえやしなかっただろうか。前方の黄金比が崩れていないか見定めようとした瞬間、手中から瓶が滑り落ちた。トスンと瓶が砂浜に着地するのと同時に、僕自身も砂浜に膝をつき立てていた。
 それからそのまま前のめりになって吐いた。吐瀉物は波にさらわれたが、瓶は自由落下の趨勢で少し深めに刺さっていたため、その場に残された。
 一通り吐き終えると、頭上から少女の笑い声が聞こえた。鈴の鳴るような声だった。四つん這いで頭を垂れた状態から僕は砂まみれの両手を胸の前で握り合わせ――それはあたかも祈りでもするようなポーズだったが実際に――僕は祈った。祈りの言葉は何でも良かった。眩しい、ただひたすらに眩しい黄金を前にした時、人は目を瞑ることしかできないのだ。直視するには畏れ多い。夏の黄金比
 さざ波の音が耳の奥、こびりつくように反響していた。
 夜が訪れた時、僕はようやくその瞼を開いた。辺りは星明かり以外に光の無い暗闇だったが、それまで目を閉じていたがために暗順応は早かった。
 少女の姿はすでに無かった。潮は先ほどよりも引いていたが、足跡は残されていなかった。ただ、空から降ってくる無数の星のうちの一つから、彼女の声に似た鈴の音が聞こえるような気がして、それが救いのように思われた。
 僕の眼前には相変わらずビタミンドリンクの褐色瓶が置かれていた。ただし、空になったはずの中身にはいつの間にか溢れかえるほどの砂が詰められていた。それがきっと道しるべだった。

■二十四日の午後三時頃、太平洋上に浮かぶ無人島の砂浜で男性の遺体が発見された。男性は二カ月前に同洋上で衝突事故を起こし沈没したパナマ船籍漁船の乗組員で行方不明となっていた5名(すでに4名の死亡が確認済み)のうち未だに安否が不明となっていたKさんと見られ、確認が急がれている。
 遺体の発見時、口内に大量の砂が詰まっていたことから、始めKさんは飢餓状態にあったものと思われたが、彼が島に流れ着いてから暮らしていたと思われる小屋にまだ食料が残っており、実際には無人島生活から来る極度の混乱や不安状態から錯乱の末に砂を誤飲したと推測されている。
(一九七四年九月二十四日「太平洋日報」)